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ころ話 Part3

ついに、ユ・アインのカテゴリーを作ってしまった...

もはや、恋がたきではないのか... どうするよ... (笑) 


そうこうしているうちに、きゃー、明日には 「ソンス」 先行放送が始まってしまうではありませんか。 放送開始までには、このリライト、終わらせなきゃ〜。

と言いながら、日付が変わってしまった...


 


元記事はコチラ→ [유아인] 획기적인 소년 [2]

(翻訳機+リライトでの私流訳です、あしからず)


[ユ・アイン] 画期的な少年 [2]  (後半


ドラマ <成均館スキャンダル> のユ・アイン


 


◆ 20 代初めまで孤独だったということが私の根元


Q: 20 歳になった年、成人の日に、朝涙を流したという記憶がミニホームページにあった。


A: 過ぎて見れば、そんな可愛らしいこともあったようです。そんな絵を描いて、そこに自分を置きたかったのです。わけもなく映画の主人公のように。はは、ちょっと三流映画だけど。


Q: 芸能人になろうと決心して、芸術高等学校 1 学年を中退した後、ソウルにひとりでやってきて独立していたね。17 歳から、そんな境遇は、普通のことではないけれど。その経験がどのように作用したのか。


A: (ちょっと考えて) どれほど大変であったとしても、過ぎてしまえばどうすることもできない時間で、その失われたものに包まれて自分が悩んだ時間まで、すでに乗り越えました。


(ちょっと考えて) 自分が、胸に出たこぶを持って生まれたとすれば、それをとても嫌がって気が狂うのでなく、こぶを美しく着飾って何とか資産にしてみようという方です。美しい傷跡? そのとおりですよ、そんなものですよ。 芸術家たちが、“苦痛は自分の財産だ” とか言ってるのは嫌だけど、10 代後半と 20 代初めに孤独だということが、成人である私の根元になったことは間違いないです。


Q: 孤独だから (他と) 異なるのか? (他と)異なっているから孤独なのか?

A: (他と) 異なっているから孤独なのでしょう。


Q: (別の質問をしたが、ユ・アインはずっと前の質問について考える)

A: それでも、私は誰よりも肯定的な人間だと思います。人々は私をかなり否定的な人間だと思っているようですが。不正を抱いても生きていく力を持つことこそ、強力な肯定ではないですか? 私は普通に肯定してはいけないの。ぷはは!


Q: 顔だけ見れば明るいが、今話した時期を体験する前の <四捨五入> でも失恋することが予め決まっていた愛らしい少年を演技していた。‘アイン兄さん’ が登場した初回から、オンリム (コ・アラ) の心が結局幼なじみのウクに行くことが、明らかに見える話だったのではないか。


A: <四捨五入> が終わって、配役の運命というものを考えるようになりました。作品のキャラクターには、人生の流れと関係がなく決定的な運命があるということです。


ところが、そのように初めと最後が決まったコースは私にとっては、つまらないプロセスです。私なりに進めることができず、劇の結末が決められた範囲内で、その時点で当てはまることだけしかできないという点が大変でした。

<成均館スキャンダル> は結末を知っていたけれど、 <四捨五入> の時は、オンリムがこのまま私と続かないだろうかと想像したりもしましたよ (笑)。でも、80% は予感がしていました。ジェシンのように、アイン兄さんは (みんなの) 中にいる異邦人。中学生の間に混じった高校生であったから。


Q: 桀驁(コロ) と <最強チル> のフクサン、そして現代物出演作の一部で、アクションや立ち回りのシーンでは、派手に人をケガさせる姿より自分がケガする光景の方がはるかにスペクタクルだ。偶然だろうか。それとも本人もそうした表現に関心があるのか?


A: 偶然ではありません。“自分が哀れで、苦しむ若者” を表現する演技について、まだやりたいことがすべてできていませんでした。やぼったいとは分かっているけれど、まるで周囲の人々が見ている前でうつ病の薬を飲んでいるかのようで。一時は、元気な役だけをわざわざ探したこともありましたが、基本的に苦痛や悲しみを演技する方が易しいです。


Q: 意見を言わせてもらうと、矢がよく似合います (笑)。宗教画なんかを見ると、キリスト教の聖人の中、矢で処刑されたセバスチャンがとても若くて美しい男で描写されているね。


A: ははは。<最強チル> でも、矢が当たって血を流しながらセリフを言う場面が大きな反響がありました。血を流して倒れている男の姿が与える興奮は大きいのでしょう。



◆ 書き込みは、私のもうひとつの活動



Q: 青春という単語と (貴方の) 名前が並ぶことが多いが、自らもその言葉を多く使いながら、こうしているうちに ‘青春’ が死話になってしまうのではないか心配したことはないか?


A: 混乱、稚気、覇気、(こうした) すべてを一度に評価して説明するために人々が最も手軽に使う単語だと私は思います。ですから、結局、青春という単語は、私が自分を世間によく説明できなかったがために選択した単語だと思います。


Q: 最近ミニホームページへの書き込みが少なくなったが、演技と同様に、書き込みにもこつこつとエネルギーを傾けていた。あたかも他の俳優たちが、体を管理するように精神を管理しているような感じを受けた。


A: 以前であれば、書き込みは、人間として自分を管理して、俳優の基本素養の中のひとつだと話したが、今は、私が行うもうひとつの活動だと感じます。良い演技をするために、ファンの管理のために書き込むのではなく、自分の別の活動であって、演技は代価を受けとるプロの仕事で、書き込みは金を受け取らないからアマチュアの仕事というだけのことでしょう。


Q: 表現とは、誰かが読んだり見なければ意味がないと考えているのか?


A: 何を目的とした表現かによって違うでしょう。例えば、「タンタラ(딴따라)」や「クァンテ(광대)」という言葉では、見ることや聞くことが主体というニュアンスがあります。
(*注: タンタラもクァンテも、役者を意味する。以前は、芸能人を卑下する言葉。)


ツイッターは直接疎通することが何よりも優先し、ミニホームページは誰かが気違いだとののしっている声が聞こえなくても、自分を表現するのことが優先します。


しかし、私は演技をしているのに、それがどんな演技だったのか分からないと、それは問題でしょう。この頃は、ブログ、ミニホームページ、ツイッター等、媒体が多くなって、私の中にある色々な自分をそこに合うようにさらけ出せるので、気が楽です。


‘虚勢’ という言葉が使われるのも、以前には見られなかった人の内面があらわれる場所ができたということだと思います。本当に虚勢もあるだろうけれど、みんなもう少し素敵な人、良い人になりたがりながら、そのような気持ちをあえて虚勢というでしょうか?


外出する時、服を着て出ることと似ているのではないでしょうか? 中身が全くない包装紙は包装紙じゃないけれど、包装だって必要です。そのように見れば、演技も書き込みもすべてのことが虚勢になるでしょう。


Q: ツイッターは、公的であって私的な空間であって、各自混沌を体験する機会のようだ。例えば、2人で文章をやりとりしてもかまわない内容をあえて他の人々が見るのを意識しながら公開する理由は何なのかという反論もあった。でも、A と B をすべてフォローしている C が A と B の対話に割り込んで、話を広げることができるのだが…。


A: 対話をなぜあえて他人に見せるかということだが、私は、逆に話を見せることを敬遠する必要があるかと訊ねたいです。どのみち私たちは相手と触れて、そこでまた他の人が偶然に触れて、そうやって社会を形成していないですか?


Q: 書いた文を読んでみると、液体状態の物質が自分の中に入ってきて、体液や嘔吐として外へ出すイメージの繰り返しだ。のどに指を入れても、中の異質物を吐き出して、きれいな状態に戻ろうとする欲求が見える。実際にしばしば吐き出すのか。


A: お酒を飲むからですよ。ミニホームページへの書き込みは、昨夜に飲んだ酒をみな吐くことができなかった時、文で吐き出すことだって楽しいのです。粗っぽく言うと、大便をするんです。空っぽにしたいのです。

書き込みは、知恵や悟りでなく美術館の絵の前に立った時のような感じを与えたいです。排泄としての文を書くにも、肯定的な面があると思います。私が通り道になることじゃないかと。ここで私が飲み込んだ世の中があって、そちらには私が吐いた世の中があるのです。私が、良質なものに精製する通り道の役割を果たせば、吐き出したものでなくて、新しいものに作り直すこともできます。


Q: 公開する文とそうではない文はどのように区分するのか?


A: 扇情的なものだとか、とても衝撃的なものだとか、ははは。それに他の領域で、俳優活動を阻害するような文は公開しません。だから文と演技が違っていても、結局は見えない相互作用があるんです。


 


 


 


◆ 大衆芸術家でもあるから文化を主導しなければならない



Q: ユ・アインさんは、大衆とファンを固定した存在でなく、本人がどのように疎通するかで考え方を変えることができる集団として見ているスターのようだ。酒を飲んだり、悪口を書いたり、同じ芸能人のタブーと見なされた行動を、その時々に個人媒体で露出して見解を明らかにしながら、“私が好きなスターはこういう人だ” と受け入れさせる印象がある。


A: ある日突然、能力以上の愛を得て、その愛に、戦々恐々としながら終わることのない愛を求めて渇望するのでなく、当然愛されるほどの存在だから愛されたいと思います。 これまでず得た愛を維持するのも、可愛く笑って“皆さん私も愛してます” というのでなく、先頭に立たなければならないと思います。


俳優は、演技者であると同時に最も影響力ある大衆芸術家ではないですか? ですから、文化を主導してこその俳優であるのに、現実は文化に便乗する存在に留まっているのではないかと心苦しく思います。ちょっとオーバーのようでも、自分に集中して新しいスタイルを作っていかなければならないと考えています。


Q: '自分のファン' を考える時、具体的にはどんな人だろうかと思うのか?


A: 交じわることのできないアウトサイダーたち。ところが私が享受する便宜を持ち合わせていない人々です。私に向けられる代表的な欲望は、共感であるようです。主流に対する反発が社会文化的にも起こっていると考えます。私のファンたちには友情があります。


Q: マイノリティ俳優としてずっと生きていくかも知れない、という恐れを持ったことがあるのか?


A: あります。でも実際にマイノリティ俳優であるとしても、私が必ずマイナーを選択しなければならないという前提ではないでしょう。はは。それぐらいはいいでしょう。容貌は人に便宜を与えるでしょう。 <500 日のサマー> に出てくるその女の子は、自身が知らない間に美しくて享受した便宜があるように。 私は主演をするのに無理がある容貌を持った俳優ではないが、それでも補わなければならない不足がほかにあるので、現実的には主流と非主流を行き来して、マイナー指向をメジャーで体現することもできると思います。


Q: でも、25 歳に近づいて焦りはなかったか?


A: 25 才頃には、私の本当の姿を、私の特別なところを、自分だけ分かっていなければ良いと思っていました。演技力であろうと何であろうとも、認めて欲しかったのでしょう。 本当は、(微笑んで) 25 よりちょっと前にそうしたかったです。私について回る評価には、常に“年令のわりには”という前置きが付いてきました。25 才あるいは 30 才にあの程度だったんだなという評価より、それを 20 代初めに見せるなら、もっと驚くべき事になるのだから。はは。


Q: もう、待つことは終わったの?


A: このごろ人々が私の話に真剣に耳を傾けてくれるので、これまでにない大切なことだと感じながらも、不思議と、彼らが本当に冷静に私を見ているのか、私の話にだまされてしまって、格別キャリアもない私を稀なすごい子だと買いかぶっているのではないかと思います。果たして私が本当に特別なものを持っているのか、かえって疑ってしまいます。 冷静になる時間が少し足りません。 ただ疲れて休むのでなく、意志を持って顧みる時間が必要なのです。 


Fin




 


 

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なお、旧館からの移行記事 (2012年3月以前) はうまく反映されていないものがあります。

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