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オオカミジュンギ 4

前記事で、これ 1 本で今のソン・ジュンギをほぼカバーできると書いたのですが、もう 1 本インタビューを見つけてしまって、こちらの内容、前記事と被るところもありますが、補足的な内容もあって、これまた長~~~いのですが、タイトルが気に入りました (笑)。

日本なら流行語大賞が取れそうですよね、「世界のどこにもいない」 というソン・ジュンギ君の枕詞 (笑)。

20121102movist_sjk_01



ご注意!!!
このインタビュー記事は、映画の結末に触れている部分があります。該当部分は文字を反転させて隠していますが、モバイルからは見えてしまうことがあります。



[송중기] 너는 늑대, 세상 어디에도 없는 늑대! (元記事 Movist
[ソン・ジュンギ] 君はオオカミ、世界のどこにもいないオオカミ!





(勝手訳なので転載・引用は固くお断りします。誤訳・勘違いがあるかもしれませんがご容赦を。)


少年と男、最近のソン・ジュンギはどちらにより近いのですか?

作品のせいか、私も最近そんなことをよく考えます。『オオカミ少年』 の出演を決めた時、これは私の俳優人生で最後の '少年ソン・ジュンギ' になるという気がしました。 それで 「少年ジュンギ、アンニョン」 という想いで作品に臨んだようです。反面 『優しい男』 は何か新しく始める感じとでも言いましょうか。それが 28 という私の年齢とも関連があるでしょう。今後、少年のような役を絶対にしないということではありませんが、年齢のせいでそんな感じがします。


フィルモグラフィーを見ると、ずっと自身の限界を試して、他の人がしないようなことして、それを証明しながらこれから進もうとする意志が見えます。『オオカミ少年』 と 『優しい男』 でのイメージの変化がそのようで。無謀な挑戦という憂慮があった 『根の深い木』 の時もそうでしたね。特に 『根の深い木』 の時はベテラン先輩の演技者の間でもひるむことのない姿で高く評価されていましたよね。

ひるまないとおっしゃいましたが、ひるまないわけがありません。ひるみますよ。あの大俳優の前でひるまないはずがありません。ただ現場のエネルギーが当時の私の状況と非常に似ていました。イ・ドは、父親に気圧されまいとありったけの力をふりしぼるキャラクターだったではないですか。それが大俳優の前でひるまないようにしようとする撮影現場での私の心理状態と全く同じだったのです。おかげで自分の演技が少しは自然に見えたのではないかと、そうでありたいと。演技の変身を良く見てくださったとすれば、それは全てシナリオの力だと思います。『根の深い木』 をするというので、人々が違うように見てくれたのです。『オオカミ少年』 と 『優しい男』 をするというので、また違うように見てくれているのですよ。実際、私は変わっていませんよ。人間ソン・ジュンギはそのままなのに、ソン・ジュンギという俳優が違って見せているのです。全て作品の力だと思います。


シナリオはソン・ジュンギの作品選択にあって重要な判断基準になるのですね。

はい。シナリオに良くなければ、どんな大俳優が出てきても、演技が見えてこないと思います。「あの人、どうしてあれをしたんだろう?」 となるだけでしょう。反面シナリオが良ければ、トップ俳優でない新人がやっても演技が目に留まります。キャラクターが引き立つものも重要ですが、全体的にはシナリオを先に見る方です。


『オオカミ少年』 のチョルスは、言葉より行動で表現しなければならない人物で小さな動きひとつにも気を配ったと思います。撮影に先立ち、準備したことは何ですか? 普段から作品の準備をたくさんすると聞いていますが。

準備というと、『オオカミ少年』 では 2 つあります。1 つは技術的なこと。もう 1 つは感性の面。まず感性面は準備したとは言えませんね。基本的に俳優が持ってものから引き出さなければなりません。反面、技術的なことは十分に準備できる部分です。ですから本当にじっくり準備しました。不安だったのでより一層に。不思議と今回の作品は出演を決定をしてから、負担が 'ふっと' 湧きました。「おかしな奴をどうして自分がやると言ったんだろう?」、「どうしてこんな冒険をしようとおもったんだろう?」と(笑)。答えは出てきません。今までなかったキャラクターなので、助言を求める場所もなくて。広くて果てしなかったんですよ。怖かったので十分に準備をしたのだと思います。


素材はオオカミ少年ですが、『トワイライト』 のジェイコブ、『X-MEN』 のウルヴァリン、ジャック・ニコルソンの 『ウルフ』 から 『シザーハンズ』 のエドワードに近い感じがしました。映画の雰囲気もそのようでしたし。シナリオを初めて見た時、このような感性の映画になるだろうと予想されましたか?

おっしゃった 3 本の映画は見ていません (笑)。ジェイコブが誰なのかも知りません。多くの方々が 『オオカミ少年』 を 『トワイライト』 と比較しているのですが、『トワイライト』 流の映画だったら選択しなかったでしょう。ビジュアル面に重点が置かれた映画だったらやらないでしょう。私たちの映画は、オオカミ少年という素材を持ってきましたが、中身は別のものが入っています。その点がとても気に入ったのです。なぜならば、題名は 『オオカミ少年』 なのに実際のところはロマンスが際立っているでしょう。そのようなジャンル的な反転の与える魅力が新鮮でした。シナリオを読みながら涙がじんと滲みました。そうした点で 『オオカミ少年』 はスウェーデン版 『モールス (Let me in)』 とも相通じている気がします。『トワイライト』 よりは土俗的な 『シザーハンズ』 と言った方がいいようです。


チョルスは事件を導くというより言いなりになるキャラクターです。つまり、アクションよりリアクションが多い人物という意味です。個人的には、アクションが上手な俳優は多くてもリアクションに卓越した俳優は珍しいと思っています。リアクションを表現するのは難しくなかったですか?

シナリオを初めて見た時、私もそのように思いました。「リアクションしかすることがないだろう」、「これは、引き立つように見えないだろう」 と思いました。率直なところ、俳優が引き立つように見せたいというのは、基本的な本能でしょう。それが制約されると思いましたよ。 ところが、撮影が始まっていくらも経たないうちに、それは錯覚だということを悟りました。決してリアクションだけがあるのではなかったのですよ。 スニ (パク・ポヨン) がチョルスを飼い慣らすのでなく、その反対だという気がしたのです。 広報文句を借りれば、チョルスは世の中にいない、閉じこもっている人物だが、私にはスニの方がもっと閉じこもっている人物だと見えました。閉鎖的なスンイがチョルスに出会い、心を開いて人生を見直すことになるのです。そうした点で 「リアクションも重要だが、ポヨンと私の感情的なフィードバックがさらに重要だ」 という気がしました。


感情的なフィードバックはどんなものでした?

とてもありがたいことに、ボヨンも私も、自身が引き立って見えようとすることがありませんでした。私は私なりに 「このようにすればボヨンが気持ちを高められるだろう?」、ボヨンはボヨンなりに 「このようにすればジュンギ兄さんがもう少し気楽だろう?」 と、言葉にしなくても感じられること、見えない真実が、ポヨンによく通じたようです。そのような意味で、ボヨンとの呼吸はとても良かったと申し上げることができます。


(映画の結末に触れているため、以下の 3 問は文字を反転させています。読みたい方だけお読みください)

↓↓↓↓↓




映画のラスト、おばあさんになったスニ (イ・ヨンナン) が少年チョルスに会いに来ます。長い間待った末に出会う。その部分で、おばあさんスニが少女スニとして現れるテクニックを使わないのが印象的でした。メローな感じを生かしたかったら、おばあさんスニを想像の中の少女スニに変えられるでしょう? 大概のメロー作品がそうであるように。ところが、この映画ではイ・ヨンナンさんがずっと演技をしていました。容易な選択ではなかっただろうと思いました。

そのとおりですよ。それは私たちの内部でもとても悩んだ部分です。実際には撮影を 2 回に分けて撮ったりしました。 イ・ヨンナン先生と一度、ボヨンと一度。チョルスの目には、おばあさんスニが過去のスニに見えるという設定で、ボヨンとも撮影をしたのです。ところがその場面は誰が見ても、おばあさんスニと少年が会うことになり、さらにジーンとしたのです。最終的におばあさんと少年と会う場面で落ち着いたのでしょう。


個人的にその選択は気に入りました。 もし変えていたとしたら、多少 'わかりきった' 場面になりえたのですから。

ボヨンが立派なのは、結果的に編集されてしまったけれど、撮影したことはしたじゃないですか。その時、ボヨンはとても感情がうまく出ていました。 ところがボヨンはきっぱりと 「これはおばあさんスンイが出てきてこそ、もっと悲しさが生まれる」 と言ったのです。俳優は自分の欲心を弄して、そんなふうに考えられないこともありますね。自分が出て行って見せられるものが多いほど良いですから。ところがそうではないのですよ。ボヨンは若いのに。本当に立派だったんですよ。ボヨンに対しては称賛しかありません。とても良い子です。


ソン・ジュンギはどうなのですか? 年齢に比べて成熟しているのですか、それともまだ分別がないようですか?

私ですか?うーん。私は両方とも持っているようです(笑)。



↑↑↑↑↑


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『優しい男』 でカン・マル (ソン・ジュンギ) は愛する女の記憶喪失により、しばらく忘れられた存在になります。ネタバレになるので詳しく話せませんが 『オオカミ少年』 でもしばらくそのような存在になるでしょ。誰かに忘れられるというのはソン・ジュンギにとってどんな感じでしょうか?

誰かに忘れられるということですか... 忘れられたくありません。良い記憶でも悪い記憶でも、最初から忘れられるより、悪い記憶でも残っていたいです。俳優でも同じことです。年を取って俳優人生が終わっても、語り継がれるようになったらいいですね。でも多くの人がそうじゃないかと思います。人間は結局忘れられないように努力する存在だと思います。生まれて死ぬ時まで、自分の足跡を残そうと地団駄を踏む存在が人なのだと思います。


ソン・ジュンギは '愛されるより認められたい俳優' という気がしますね。

あえて言うならば、そちら側だと思います。(自分でも) わかっていなかったのですが、こう話していると本当にそうですね。私という人はとにかく作品に対して貪欲です。デビューが遅かったからなのか、より一層そう思います。『オオカミ少年』 と 『優しい男』 は、今の私にとってとても大切な作品ですが、遠い未来の観点からみれば、ものすごく大きいものではありません。10~20 年後の私があるためのひとつの過程に過ぎません。ひとつずつ、ひとつずつ経験して感じて進んで行きたいです。今すぐ昇りつめたいとも思っていません。その代わり、幅広くなりたいと思うことはあります。愛されたいなら、昇らなければなりません。人気を得て、(チャン) グンソクのように韓流スターになれば、キャスティングも思いどおりでしょう。ところが私はそちらの方では少し手ぬるいです。私は国内だけでも構いません。それでよく話すんですよ。内需用の俳優だと (笑)。


俳優が自分自身を運用する方法は大きく分けて 2 種類あると思います。芸能や TV 出演を通じて大衆により身近に見せる方法と作品のみを通じて自身を見せる方法です。あなたと対で語られるユ・アインさんが後者であるならば、ソン・ジュンギは前者に該当すると思います。演技の他に本も出して、芸能番組にも出て、MC もやって。多様な活動にはどんなプランがあるのですか?

私は前者でも後者でもありません。まだ、私自身が分かりません。ですから探しているのです。今は自分探しの過程です。「分からないからひとまず色々なものをやってみよう」 ということです。 多様な経験をすることが演技に役立つというふうに考えています。実際、『ミュージックバンク』 の MC を 1 年半ほどやりましたが、生放送を経験して、演技の助けとなることが多くありました。「生放送中に失言をしたら、どうやって収拾すればいいのだろうか」、「自分の危機対処能力はどこまであるのか」 と、そんなことを心配していました。それで実際に事故が起きたら良かったのにと (笑)。


いや、自虐的な面がありますね (笑)。

変態みたいでしょ、かなり(笑)。そういうことを楽しみます。後でどうなるかわからないけれど、今は自分の色を探している最中です。私にとって心地よく、楽しいことは何かということを。


うまく探せているようですか? 中間点検をしてみたらどうですか?

一応、大丈夫みたいです。なぜならば、あれこれやっているため収入も多くなりました(一同爆笑)。両親もとても喜んでくれています。


それはご両親にとって、最高の親孝行でしょう(笑)。

私は Leessang (リッサン:ケリーとキルの 2 人組) がとても好きなんです。8 集に収録された 「행복을 찾아 (幸福を探して)」 というケリー兄貴が作詞した曲にはこんな歌詞が出てきます。「自分より先に芸能を始めたキルを見て、'どうしてあんたは一緒にやらないの?' と内心羨ましがるお母さん (中略) 一歩遅れて始めた芸能に両親が喜んだ。周囲の人々はケリーは変わった、大人になったと罵るけれど、そんなの関係ない。俺の両親さえ喜んでくれればいい」 というその歌詞がとても良いんです。共感しました。両親が喜んでくれればそれでいいのです (笑)。


以前のあなたのインタビューを探してみたら、いくつか面白いものを発見しました。 「俳優になりたいのか、トップスターになりしたいのか」 という質問には 「スターになりたい」 と答えていました。また、「初心は忘れるべからずだと思うか」という質問には、「初心は変わるべきだと考える」と話していましたし...。

そのとおりですよ、そんな話をしました。


見ながら何と言いますか、俳優が形式的に答えるような 'わかりきった' 答えをしない感じと言いましょう? 個人的には、千篇一律の回答をしないのでとても嬉しく思ったのですが、気になることも。ソン・ジュンギの頭の中には一体何が詰まっているのだろうかと。平凡に見えることを拒否するものがあるのだろうかと (笑)。

はは。目立とうとしたわけでは絶対ありません。 そうではないのですが、きわどい綱渡りをすることになってしまって。抑えようとしてもそれがうまくできません。たとえば、私も自分のインタビュー記事を読み返してみるじゃないですか。読むと、私がバカげたことを話していると思うのです。自分の考えじゃないのに、あたかも自分のことであのようにひたすら話しながら、自分のふりをして作られた話をしていて。ああ、そうするととてもしんどいんだと。そのような上っ面なことはとても嫌なんです。結局、気楽にありのまま話をすべきなんです。


気持ちは楽であっても、それが不本意ながら注目を集めたりするでしょう。そんなことで疲れるぐらいなら、人々が望むようなあらましに合わせることもできるはずなのに、そうはしませんよね

あの、意地があるでしょう?(笑) もちろん人々が聞きたがるような話だけを選んで話すこともできるでしょう。そうすると後腐れもないだろうし。ところがそうでもないのです。インタビューをすればするほど、そうならなくなって。よほどのことであれば、私のファンたちは 「オッパ~、そこまでは話さなくていいのに…」 と言いますかね (一同爆笑)。どうしましょう。これが私であるのに。


「オッパ、そこまで話さなくてもいいのに」 と言われるようなことは、どんなことですか?

地方での撮影の時でした。女子高生が通り過がりに 「おっ、ソン・ジュンギだ! xxバル、xxナ(スラング悪口)、カッコいいじゃん!」 と言うでしょ。そばにいるマネジャー兄は私の性格を知っているので、腕をつかんで 「じっとしていろ」 と(笑)。ところがじっとしていることはできるんですよ。「学生、ちょっと来て。 xxナって何なの? 君は、xx がどういう意味かわかっているの?」 と言いましたよ。とても腹が立って。若い女の子がそんなおかしな言葉を使うことに。インタビューでその話をしたところ、ファンたちが 「そこまでまた何でその話をするか~」 と (一同爆笑)。


良いファンたちに囲まれていますね(笑)。意図したことと違って記事が出て、傷つく時もあるでしょう?

あります。自分の話が違うように解釈されたり、話の大きさが変わっていたり。そうした時は傷つきます。でも仕方ないと思うのが、結局自分が始めているのです。だから考えるのです。「初めから話すのをやめようか?」と。そうするうちに考え直します。「それはまた、私の性格ではないし」(笑)。それなら解決方法はひとつです。私が変わるしかありません。性格を維持しながら、他の人にあまり害が及ばない 'ゆとり' を見つけなければならないと思います。


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カメラの外で率直な姿を保つのは、時間が経つほど難しくなることもあると思います。

わかっています。私はそのままの姿なのだと思います。現場でのみ俳優であって、"カット" という瞬間でも何でもありません。私は街も歩き回るし、旅行もひとりで行って、マネジャーの付き添いを断ってホールへも行きます。自分の生きざまに疲れたくなくて、自らをさらに解き放とうとすることがあります。多少意識しても錯覚の中で生きることが、どん底だったんですよ。人気に陶酔すると、まかり間違えば自分を失いがちなところがあるのです。ですからいつも反芻しようとする方です。愛されると気分は良いです。広告も多くなって、作品の選択の幅も広くなって。でも、そのたびに自制しようとします。 ある意味、疲れる性格が合っているようです。


インタビューを見ると、普段からイ・ギョンヒ作家の作品を楽しんで見ておられたとか。 そのような作家の作品でドラマ初主演ですね。作家はソン・ジュンギのどのような面を見て一緒に仕事をしようと言ったのでしょうか?

私も気になりました。それまでのイ・ギョンヒ作家の作品に出演した俳優を見ると、ウォンビン、ソ・ジソプ、チャン・ヒョク、チョン・ジフン... 線の太い先輩たちでしょう。 そう考えると、私の容貌は 'イ・ギョンヒ スタイル' ではないと思いました。それでシノプシスを受け取る時、作家さんに訊ねました。 「なぜ私にくださったのですか?」 と、すると 「苦労はもらってでも、なんとか~」 とおっしゃって(笑)。心配になりました。大衆が考える私のイメージは 'ソ~ウル牛乳♪′ ですが、果たして視聴者が私を受け入れてくれるだろうか。その時作家さんが 「私は 20 年近く作品を担ってきて、私もそれなりのプロでしょ。これまで数多くのトップスターたちを見てきた人間よ。そんな私が見るに、君には何かがあるの」 とおっしゃいました。「ああ、これが機会となるのだろう」 という気がしました。'イ・ギョンヒ スタイル' に私が持っている色を出せば、既存のものとは違う人物が生まれるのだという自信を得ました。


肯定的な評価を得ると、自惚れることよりも、失望させてはならないという気持ちになり、かえってむちを打つスタイルになると思います。

むち打ちという言葉に合っているかどうかわかりませんが、フィードバックは継続的にする方です。それでレビューもまとめて読んで、俳優や関係者たちインタビューも読みます。こんな経験があります。'シネ21' のキム・ヘリ記者が書かれた 『ちりを集めてロマンス』 のレビューを見ると、そこに 「ソン・ジュンギという人は学歴もあって基本的に勇気のある果敢な人であるようだが、そうしたためか演技をするときに敢えて気を遣わなくても良いことまで気を遣うようだ。 力を抜いてもかまわない部分でも計算するようだ」 と書いてありました。読むとその通りだと思ったのです。「ああ、私にはそうしたところがあるんだな」と。この場合、フィードバックになったということでしょう。レビューで自分の姿を見たわけですから。ですからフィードバックを重要視する方で、その意味では、バカげたコメントは絶対見ませんが、専門家たちのレビューはまとめて読む方です。それがむち打ちということになるのだと思うのです。


芸能人の素質を持って生まれてきたのではないという言葉ですね。

いえ、違いますよ。私は、絶対に芸能人の素質を持っている人間ではありません。私が踊るとか歌を歌うと言ったらファンたちが告訴しようとするでしょう。持って生まれたものがあまりないので、かえってもっと努力しようとするのです。(こんな話をしていたが、ソン・ジュンギは 『優しい男』の OST '本当に' で多くの女性たちの心を揺さぶっている。なんと、悪い男だ!)


持って生まれたものは素質でなくとも、(心に) 抱いているものが多いのが俳優というものだと聞きます。あなたの中にあるもので、これは褒めることができると思ったことは何かありますか。

情が深いということでしょうか? 情という単語が好きですが、それは自らを褒めることのできるる部分だと思います。どんな俳優になりたいかとよく訊かれますが、以前はハ・ジョンウ兄貴やチョ・インソン兄貴のような俳優になりたいと言っていました。でもある日、ユン・ヨジョン先生のインタビューを読みました。先生がインタビューで、「俳優は人が人を表現する職業だけに、基本的に人でならなければならない」、「人格が備わった人が良い感情を表現できて良い俳優となる」 とおっしゃっていました。その瞬間、これだ、そうなりたいと。良い人にならなければならないと思いました。その点で情が深いということは、私の長所なのではないかと思います。情が深くてときどき損をすることもありますが。


損をすることがあるというのは、どういうことですか?

心理的に傷付くこと、金銭的に損をすること、色々なものがあるでしょう。それで 50 億損をしようが、100 億損をしようが。人より大切なことはないと思います。いくら損をしようとも、心苦しいよりもその方がましです。


良い人になることや、心地よく生きるとおっしゃいましたが、俳優という職業は合わないと思ったらどうするつもりですか?

その回答はむやみにすることができません。とても生意気な回答かもしれませんが。もしそのような気持ちになる時が来たら、またここへ戻ってくると思います。再び俳優という場所に。実際、「この道は合っているのか」 と考えることは今でもときどきあります。ボヨンもインタビューでそのようなことを言っていました。「自分の道は俳優でいいのだろうかと」 と悩むと。俳優ならば誰しもそのように考えるのではないかと思うのです。でも結局はここに戻るのですよ。おそらく、ずっとこの場所にいるのだと思います。そして収入を得て、両親にお小遣も差し上げます(笑)。

『オオカミ少年』 でチョルスとスニは、互いが互いに飼い慣らされます。愛というものは、ある意味、相手方を飼い慣らすことではないのかと考えてしまうのですが、人が人に何もかも飼い慣らされることができると思いますか?

そうですね。誰かを好きになればそのようになることもあるでしょう。私もそんなふうに愛したこともあって。愛に陥れば、私も合わせる方です。それほど美しくて悲しいことはないようですね。そして私がいいのならば合わせることは良いと思います。男女間の愛でも、他人同士間の友情でも。こんな話があるでしょう。恋愛では、より愛する人の方が損をするという話。でもどうしましょう。良ければ合わせてあげる。2 人が同じ大きさで愛すれば良いけれど、現実はそうはならないでしょう。 結局どちらか一方が飼い慣らされると思います。


老若男女問わず、地球上に存在する誰かを飼い慣らすことができる機会が与えられるのならば、どんな人を飼い慣らしたいですか?

お、なんと。ちょっと頭がこんがらがって。こんなふうに話すと、そんなふうに受け取られて。ははは。誰をなつかせようか...ミランダ・カー? でなければクリスティアーノ・ロナウド?(一同笑) いや、想像もできないか。あえてあげるとすると不可能な人にしなければ。はは。私はサッカーがとても好きで。ミランダ・カーのファンで。触れることができない人たちなので、飼い慣らすにはスリルがありそうですね。


反対にソン・ジュンギが大衆に飼い慣らされることもあるでしょう?

そうですね。というのも、私は限りなく商業俳優だから。ところが、それも探求の過程です。私が持っている色が青色だとすれば、すぐに赤色に行くよりは、空色、薄緑色、黄色... 段階的に踏んでいうべきだと考えます。すぐに赤色へ行くことは、滅びへの近道だと思います。今、私はその段階に立っています。色をすべて満たせば、その時、私はやりたいことをするでしょう。その時、大衆が嫌いだと言っても、私は刺されたものに挑戦できるだろうと思います。


その時を待っているのですね。

そのとおりです。待っているところです。率直に言うと、今は大衆から目をそらすほどの選択をできません。そんな勇気はありません。申し上げたように、今の私は限りなく商業俳優なのですから。でも商業俳優の枠を越えれば、その時は私にも大衆を引っ張ることのできるオーラが生まれるのだと思います。個人的には、アン・ソンギ先輩が該当すると思います。私もそうなるために今走ります。







tag: ソン・ジュンギ

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なお、旧館からの移行記事 (2012年3月以前) はうまく反映されていないものがあります。

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