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愛しのワンドゥク君 2

『ワンドゥギ』 の記事 2 本目は 10asia から (元記事)。モタモタしていたら、観客動員数が 250 万突破していました (拍手)。





ところで、なぜ 「愛しの」 かというと...

『ワンドゥギ』 クランクインのニュースを拙宅で記事にしたとき、関係者でもないのに 「プサンにおいで〜」 などと書いていました。毎年釜山国際映画祭には行っていますが、今年もつつがなく映画祭を楽しむことができ、「おいで〜」 と叫んだ作品 『ワンドゥギ』 がそこで上映され、さらに、ユ・アイン他ご一行様の姿を見ることができ... なんだか上出来すぎる... ともあれ、思い出深い作品となったことは間違いないので、「愛しの」 です。

このポスター (?) が、この作品を観た後のイメージそのものですね。 





Naver や Cine 21 のネチズンからは、相変わらず熱い支持を受けていて、評点は 9 点台をキープしていますが、個人的には 9 点台は過大評価だと思うし、一方で専門家評の 6 点台後半は過小評価だと思います。

現地での興行がそこそこ良いとはいうものの、この作品は、とーーーってもローカルな内容。ワタシは面白く見たし、やはり俳優たちが演技派揃いなところが見どころだなと思うのですが、そうはいっても、日本でウケルとは思えず、釜山で会ったプレス関係の知人からも 「面白くなかった」 と言われ、がーん。それでも、日本で公開してくれたら嬉しいな。
『ワンドゥギ』 レビュー



さて、気をとりなおして....



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ユ・アイン 「最も私らしく最善を尽くして生きようとする賢明さが生じたようだ」


ユ・アインとのインタビューは、細い一筋の糸をつかんで迷路の出口にたどりつく旅程のようなものだ。どんな質問や主題にも、自分の言葉で回答し、新たな疑問を生じさせる人物との対話は決して容易ではないからだ。しかし、その糸は細いが丈夫だ。1 年前 KBS 『成均館スキャンダル』 で輝かしいスポットライトを浴びて青春スターに加わり、今秋、彼がそれまで描き出した数多くのさまよう青春とはまた違った顔の少年 『ワンドゥギ』 で帰ってくるまで変わらないことが、その一つだ。 ユ・アインは相変らずユ・アインで生きている。だから興味深い。


10asia:
『ワンドゥギ』 を見て、ふとこんなことを思った。この俳優にはなぜ常に多くの荷物が背負わされるのだろうか。孤独で貧しくさまようキャラクターを、ことさらよく演技する。 


ユ・アイン:
実際にいつも荷物を背負っていた。荷物を背負わずに、ごく普通で誰でも体験することなどを体験する 10 代は事実つまらないから。私が演じたキャラクターの中では、KBS 『結婚できない男』 のヒョンギュが珍しく健全で普通の 20 代だったようだ。 彼にもそれなりに悩みはあったが、そこはあえて作品で現れなかったし。


10asia:
『ワンドゥギ』 で 「僕に一体何をなさるのですか」 と訴える瞬間 ‘悲しげな顔’ が本当によく似合うと感じた。このキャラクターだけでなく、その俳優が生まれつき持っている無念の態度という気がした。


ユ・アイン:
その表情が私の表情に合っている。私には ‘世間は私に一体何をするのか’ と思う面が間違いなくあって、ワンドゥクは、自分よりもう少し幼い友人という設定を加えただけだ。そして顔の構造的には、本当に悲しくて哀れであるようにうまく表現できるのは、眉毛と眉毛の間がこのように上がる表情だから (笑)。以前は、漠然と難しいと思って本能的に演技したが、今はどんな筋肉を使ってその感情を表現するのかを分析的に考えるようになったようだ。


 


“誰が見ても世の中はくだらなく、大人たちはつまらない”


10asia:
だが、事実、映画序盤にはワンドゥクのキャラクターが簡単にとらえられない。貧困、障害者の父親、知らなかったフィリピン人の母親の存在など ‘不幸の要件’ をみな整えていることにも、ワンドゥクはがさつで気が強い反抗児でなく、すべてに押し黙りどの面でも大人たちより成熟した人間だ。この ‘人’ を全体的にどのように理解したか。


ユ・アイン:
実際にとても極端で乱暴な反抗児より、ワンドゥクのような反抗児、いや実は反抗児でもないこの友人を理解するのは、はるかに容易だった。それが現実だから。実際に学校を飛び出す友人より学校の中にいる友人が多く、家庭環境がいくら悪くても家を出る子供より両親のもとにいる子供の方が多い。そんなことをよく考えた。事実そのような面で、ワンドゥクは以前に演技したキャラクターとは少しかけ離れた人物だ。外にはじき出される代わりに自分の中で自分と戦う姿勢そのものが、私よりはるかに純粋で、優しくて、抜け目がなく、丸々とした子供なのかもしれない。その丸い枠の中で、自分ひとりで突っ張ったのだろう。外側が突っ張っていたり角張った子供ではない。その上、どんな大人たちよりも。


10asia:
また一方では、ワンドゥクがキックボクシングを始めたことで、この少年の未来は順調な道を走るわけではなさそうだと思った。


ユ・アイン:
事実多くの人たちが、エンディングでワンドゥクがキックボクシング大会で優勝したり、成功する希望がみえることを望んだかもしれない。 私の両親も 「大会に出て勝つのか」 と話していたが (笑)。だが、私としてはこの映画でスポーツが野暮ったくなく使われて良かった。実際に 「なぜスポーツでなければならないか」 という疑問があることはあった。スポーツでなければ、青春のエネルギーを解きほぐし、世の中で背伸びしてこわれてつぶれる仕掛けは考えられないかもしれないゴタクを並べた。だが、最初に設定されていたきちんとしたハッピーエンドに方向が変わったし、別の見方をすれば、私たちの映画が多少陳腐に見えても結果的には新たに接した素材であるように、やはりスポーツが新しく描かれたという面は良かった。



10asia:
10 代を描いた作品にスポーツがしばしば登場する理由の一つは、恵まれない環境の人が成功できることは、いくつもないためではないか。


ユ・アイン:
もう一つは、どうしても既成世代が描く 10 代や 20 代の姿はあまり多彩に描かれないようだ。私が受けた作品を見ても、不良青少年、20 代反抗児、もちろん良い。しかし、特殊な状況、特殊な形質を持ったキャラクターがあまり多くないというのが惜しい。事実、これまで演じたさまよう少年、青年たちが 『ワンドゥギ』 のように商業映画の主流に入ってくること自体はうれしいことだが、もう少し深みのあるものをやってみたい。もちろん自分で書くわけではないので仕方ないが。


10asia:
だが 『俺たちの明日』 のジョンテのように銃を手にした ‘社会転覆的’ なキャラクターでは、ビジネスが難しいこともある (笑)。


ユ・アイン:
事実、ジョンテが置かれた状況や現実はワンドゥクと変わりない。異なる点は、感情の振幅であり、受け入れる姿勢の差異であって、それなら足元だけを掘り下げるのでなく、特殊な設定を加えて (話を) 豊かにしたり、新しくしたりして、ビジネスと折り合えるではないかと思う。すでに私も一つのパターンとなったし、私のイメージは固定された。人々が私に、なぜずっと反抗児役だけを演じるのかと問いかけるのであれば、自分が追求できるのは同じ反抗児のゆがんだ青春であっても、うわべだけ舐めるのではなく、もう少し踏み込んでみることなのだと。


 


“非難されても、面白いからこの仕事をする”


10asia:
さっき話したように、大半の 10 代は、学校と家庭で与えられた状況を我慢するのが普通だ。特に韓国では、学校を辞めて出るということ自体が途方もない冒険で、一生の汚点として残ることもあるのに、高校を中退した理由の一つに 「自分に与えられた状況には、何一つ自分で選択したものがなかったためだ」 と話していた。それをそこまで我慢できなかった理由は何か。


ユ・アイン:
私の外で起きる何か、私を刺激する何かは重要だが、それよりもまず私があるべき姿勢が重要だ。同じものを見て感じて理解する感情の振幅は、個人によって異なるからだ。絶対的な基準で見ると、ワンドゥクが置かれた状況はとても不遇だから ‘逸脱する資格’ が与えられるといえる。だが、その少年は逸脱しないで状況を受け入れる。彼と比べると自分はとても極端な少年だったと思う。事実、誰だって学校に通いたくない。誰が見ても世の中はくだらなく、大人たちは古くさくてつまらない。だから 「果たして、それはそれだけのことだったのか」 というより、「果たして自分はそんなことが出来る人間か」 という疑問の方がより重要だ。そうした自身の気質を土台に選択をしてきたし、今はそうやって自分という人間になった。


10asia:
選択をするには、自分がどんな人間かということを自ら一番よく知っていなければならない必要があるはずだが。


ユ・アイン:
もう少し若かった時は、自分が何者なのか、自分は何が好きで、どんな選択ができるのか、さらには何が正しくて何が誤っているかもよく分からなかった。ただ漠然とした感じだった。ところが、そうした瞬間にぶつかり続けて、ますます難しい選択をしたため、今はそれほど長く悩まずに見分けることができる目、自分のフィルターができた。そして今は、自分が何者なのか、何を望むのかということで悩むのではなく、自分は、すでに何者かで、ここにいるのだから、ここで何を失うかということについて悩む必要になったと思う。


10asia:
そうした面では、KBS 『成均館スキャンダル』 で成功して以来、人々が直接的に望むことや、あるいは間接的に期待することが増えたと思う。無言の圧力として作用し得ることから、押し出されないように特別に努力したりするのか。


ユ・アイン:
何かを選択するにあたっ、特にする事は何もない。もちろん、そうしたものを見るその瞬間は負担になるし気になるが、本当に選択する瞬間には、不必要だ。ただし、そうしたことを通じて私に向けられた目、私を形成する世論、私のファンたちが何が好きで嫌いなのかを、ありのままにとらえているだけだ。


10asia:
だが、選択は瞬間の判断であり、日常とは少し違った問題でもある。他の人々の要求や不合理だと感じる批判によって傷ついて、無気力になる瞬間もあると思うが、そうした状況をどのように耐えるのか気になる。


ユ・アイン:
もちろん傷を受け入れてきたし、今は理解するようになった。要求や批判はどのようにして生まれたのかとついて、十分に理解できるようになったということだ。そのために諦めるのではなく、それに合わせて行動することができるようになったし、もう少し努力をしてみたくなったし、また ‘無理かな’ という間抜けな勇気も生まれる(笑)。そこに面白味を感じなければなければならないと思う。


10asia:
もし、それをもうこれ以上面白いと感じることができなくなったら?


ユ・アイン:
止めることもできる。危険でもあり、無責任な発想でもあるが、私は面白いから仕事をする。非難されても面白くなければならないということだ。ある本で、「称賛されるとわかってする仕事ではなく、非難されるとわかっていてする仕事なのだ。その事件が全てではなく、一つの仕事は全てではない。結局、自分の流れの中で進んでいくのだ」 という一節を読んだことがある。そのように流れを一歩離れて見るべきだと思う。俳優として、大衆芸術にかかわる人として、読み取らなければならない姿勢もそうしたことだ。人々からまったく離れることもなく、まったく出てしまわずに、また、どっぷり浸かってしまうことのない、片足あるいは両足は、前に出ていなければならないということだ。


 


“くだらなく面白みのある世の中”


10asia:
(世の中の) 流れのみならず、自身に対しても常に一歩引いて眺めるように努力しているようだ。


ユ・アイン:
今はあえて努力しなくても、鏡がひとつ常にそばにあるがごとく映し出して見ている。だがまた、努力を怠った瞬間、その鏡が曲がって濁りホコリをかぶる瞬間、壊れてしまうこともあるということだ。実際、私は自分がとても洗練した人間だと思ったし、さらに何週間前のインタビューで、「自分は、生まれながら洗練されるということがどういうことかを知っている人であると思う」 と、生意気な態度さえ取った。ところが、ずっと 「野暮ったさ」 と 「洗練」 という言葉について考え、日常の中で 「これは野暮ったくて」、「これは洗練されていて」 という話を聞き、自分は実際には生まれながら洗練された人ではなく、鏡を持つ人なのだと悟った。自分は、目やにが溜らない人でなく、目やにが溜まるのを見てはがすことのできる程度の人なのだ。


10asia:
最近、多くのドラマと映画が現実との隔たりがあるままストーリーを広げていることに対して、『ワンドゥギ』が興味深い理由のひとつは、今の自分たちが踏ん張って生きている世の中と密接に関連したキャラクター、ストーリーを描いたという点だ。そうした面で、今生きているこの世はどう思うか。


ユ・アイン:
おもしろい世の中だと感じるほど、また、くだらない世の中だと感じることがますます多くなる。目を開くとくっきりとわかるほどの両極端を共に見ることになるから、楽しいことではないけれど興味深い。実際、人は死ぬまで成長するというけれど、止まる時期はあると思う。そして、精神的にも社会的にもさらに退歩するのだ。いつも心配になるのは、私が少し早く成長したぶん、その瞬間が早く近づくかも知れないということであった。他の人々は 30 歳で色褪せてしまうことが、自分は 25 歳で色褪せてしまうのではないか、その時卑怯になるようなことを、ここで卑怯になったらどうしようかと。ところで幸い今のところは止まっていないので、そうしたことでも、くだらなくおもしろい世の中を興味深く眺めることができる姿勢を持てるようになったようだ。


10asia:
この前、最近読んでいる本がユン・ウィソプの詩集 「마계」 だと言っていた記事を見た。実際、小説を読むのと詩を読むのは、性格が異なる行為だと思うが、詩を読むことから何を得るか。


ユ・アイン:
一種のイメージ・トレーニングでもある。詩は短い文で、だから早く読むことができるということではなくて、その短いテキストの中で小説ぐらいの、あるいはそれ以上のテキストを読みだしてイメージを膨らませることができる。だから、自分は詩を書いて詩を読む人間だということが、演技にとても大きく役立っている。自分がずっと書き続けてきたからなのか、年を取って見る目が生まれたからなのか、読み方を大きく変えて具体化しながら、話し手の心にもっと近づくことができる。 自分が考える映画、自分が好きな映画は、やはり小説というより詩に近い。『ワンドゥギ』 もまた、ワンドゥクの立場ではとても不親切な話で、涙を流して不安になりながらもさまよい、自ら戦う一連の過程が、一句一句すべて説明されない。だが、映像で見せる映画の土台に、その含蓄的な点が構築されていなかったならば、表面に現れる部分はお粗末になるかもしれない。


10asia:
「今日を生きる」 ということは、自身を完全燃焼させるのと似ているのではないかと思う。今までそのように生きてきたとしても、ある瞬間、不安になったり、不充分だと感じることもあると思うが、今は、どのように暮らしていると考えるか。


ユ・アイン:
この頃は、自分は自分が思っているほど今日を生きる子ではないという気がする (笑)。以前の自分なら 「自分は今日を熾烈に生きる人だ。明日死んでも関係ない」 と言ったかもしれないが、今は 「自分はそのように生きようと努力する人だ。それがより良いことだと、それがより良い人生だと考える人だ」 と話せる程度だ。


10asia:
それならまさに ‘今日’ の自分はどうなのか。


ユ・アイン:
以前には、今日を良く生きるために激しく戦って押しのける時間が多かったとすれば、今は、自分が今日ぶつかったものに対して、最も自分らしく最善を尽くして生きようとすることが賢明なんだと言えるようだ。状況を受け入れながら、自分を捨てない方法を探しながら。もちろん幼い時は本当に戦わなければならない時期もあった。だが、それを経て、今の、今日の私があるのだ。


 


=========


ユ・アインって、言い回しというか、言葉の使い方が独特で、反応が普通じゃないから面白いですね。記事を自動翻訳にかけると何を言ってるのかさっぱりわからないので、辞書で一文ずつ一応確認してリライトしているのですが、ワタシ自身もそこまでやることもないだろうと思いつつ、どんどん文に引き寄せられていくのが不思議...


 


 


 



 

コメント:

山替え

haru さん、コメントありがとうございます。

>まっずい、惚れてしまったかも
あっ、すでに現在完了形になってる。
下山確定?
さぁ、新しい山に登りましょう(笑)

ユ・アインの発言はいつもオトナなので、とっても勉強になります。どこかで使おうっとかね(笑)。

とは言いつつ、ワタシの心は、ワンドゥク君からすでに次のターゲット=美しき王へ移っておりますが。こっちもあっちも、忙しい~

>これだけ当たれば早めに来るでしょう
早く見られるといいですよね。心はもう舞台挨拶なのね。キム・ユンソクだけ来たりして(笑)。

愛しすぎる

こんにちは。
わかりやすい翻訳手直しありがとうですー。
ちょっとー。どうしましょう。
愛しすぎます。
まっずい、惚れてしまったかも。(^_^;)
独特の言い回し、発想に胸キュンです。

とにかく日本公開が楽しみな作品です。
これだけ当たれば早めに来るでしょう。
舞台挨拶には行かなくちゃね。(笑)

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なお、旧館からの移行記事 (2012年3月以前) はうまく反映されていないものがあります。

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