スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

愛しのワンドゥク君  1  [追記]

「ワンドゥギ」 観客動員数 150 万人突破記念として (?)、ユ・アインのインタビュー記事を 2 本あげようかなと。

ところで、観客をいかに動員するかということには、いろいろとカラクリがあって、とくに公開初週に上映スクリーン数をどれだけ多く確保できるかが重要なのだそうで、配給会社が大手になるほどスクリーン占有率が高くなるわけですね。「ワンドゥギ」 の上映スクリーン数は、他の作品と比べて圧倒的多数なので BoX Office 1 位というのは、あたり前の結果のようにも見えますが... 上映スクリーン数が多くても興行に失敗する作品だってあるのです。



(Source: KOFIC)

記事の 1 本目は Cine 21 から (元記事)。そういえば 1 年前にも確か Cine 21 の記事をあげたなぁと。

自動翻訳だと意味不明なので、いつものごとく、読みやすいようにリライトしていますが、あくまでも私流訳です。


[追記] どうでもいいワタシのつぶやきを入れてみました。 



==========


 




 


[ユ・アイン] 仮面を示して歩く俳優


ユ・アインは、じっくりと、あるいは、ゆったりと撮ってこそ映える被写体だ。1 分だけ見守ってみよう。彼は少しの間もじっとしていることができない。弛緩あるいは弛緩をあきらめたりしない微細な苦闘。固定した三脚の上にカメラをのせて、インタビューでも録画しようとすると、いつのまにかフレームの外にはみ出て、耳だけが捉えられていることがしばしばある困り者。


この 2 年間、ユ・アインは TV ドラマ 『結婚できない男』 や 『成均館スキャンダル』 で、バストショットあるいはそれよりもさらに近寄ったフレームの中で、より大きな波紋を与える表現をするのは誰かを競う演技をして好評だった。『空と海』 以来 3 年ぶりの映画 『ワンドゥギ』 は、ユ・アインにまず肉体的な解放感を与えた。「からだが楽になれば本能的に演技できるようになるようです。あえてさらに何かをのせなくても良いのです。私の本能が見る人にも受け入れられるかはわからないけれど」。


はたして 『ワンドゥギ』 のワンドゥクは驚くほど気楽に見える。問題児と呼ばれながら、この映画で最も安定した人格を持っていることが見て取れるほどだ。言ってみれば、のけ者にされる青年ではなく、のけ者にするように他の級友たちに強いる青年。だから、ドンジュ先生 (キム・ユンソク) がワンドゥクに行う ‘善導’ は、不良学生をどん底から地上に引き上げるのではなく、早熟で優れているあまり、高いところで駆け巡る大人びた青年を地上に引き下ろして多くの人々の中に引き込もうとする努力に近いようだ。ユ・アインがうなずく。「あいつにとっては、かえって成長の速度を少し遅らせることが助けになるのかもしれない。」
 こういう分析はできなかったけど、ドンジュ先生のワンドゥクに対する関わり方はとてもユニークだと思いました。


 


反抗は、そのまま現実となり、性格となった


貧困、拳骨、障害のある父親とおじさん、家出したフィリピン系の母親。ト・ワンドゥクは、初めからキャラクターをはっきりと規定する荷札がいくつも付いている人物だ。‘世の中で最も哀れなやつ’ で要約されるこの多くの変数は、演技者とって糸口にすぎなかったのだろうか、それとも重荷であったのだろうか。


「いろいろ多くのことを考えました。ただ、ワンドゥクの環境を作り上げている要素を現実的に分析するのではなく、そこで対応するワンドゥクの姿勢だけが重要でした。ワンドゥクは無気力なこともあるけれど、すべてをありのままに受け入れる姿勢があります。「そうだよな、そういうこともできるだろう」 と考えることです。制服を着て、ラーメンを作って食べる演技をしていて、一人で食事の用意をして TV を見ながらご飯を食べた自分の過去の感情が多くよみがえりましたが、当時の自分も不幸だったり悲しいことはありませんでした。ただ、当然で自然だったのですよ。」


‘姿勢’ は、文を書く習慣を持つユ・アインが、最近よく書く主題でもある。「今どんな気持ちだとか、自分が何者だとか、どこにいるかという文を書く時期は終わり、今は、こんな自分が取るべき姿勢を悩みながら文を書いているようです。」


いつになったら、『俺たちの明日』 のジョンテに言及せず、ユ・アインの演技を語れるだろうか? ワンドゥクのように草食動物の目と“あなた方がわからなくても関係ないさ”というような語り口を持つ 10 代の少年。ジョンテが、陸橋の欄干の上を歩く危険な子供を見あげて危険を促すならば、おおげさに困ったふりをしないワンドゥクは悠々としていて、ときに人生を見物しているように見える。
 『俺たちの明日』 は、ユ・アインを語る上で欠かせない作品だし、あの作品の持つ雰囲気とかトーンって 1 度しか見ていないけれど、よく覚えています。


21 歳のユ・アインと 25歳 のユ・アインの間の間隙であろうか? 『ワンドゥギ』 を見ながら、1 年前のインタビューで、学生時代の友人たちと道を歩くときは、一歩遅れて彼らを眺めて歩くのが好きだったという彼の回想を思い出した。そして 『アンティーク〜西洋骨董洋菓子店』 の撮影当時、同僚たちといる時、誰も見ていない瞬間に若々しく新鮮な微笑を浮かべる姿をたびたび目撃したと言っていたミン・キュドン監督の観察も。


しかし、ユ・アインは成長第一主義者ではない。「ジョンテはワンドゥクより健康だと思います。ワンドゥクのように地上に引きずり降ろされる方が幸せだと感じる今の自分は、ジョンテの姿を渇望していることもあります。はじき出されて歪んで壊れることができるのは、不足がないということだと私は見ているのです。だからジョンテがうらやましいです。多くのことを諦めたワンドゥクは、不幸なんだと思って演技しました。」

その通りだ。ユ・アインはワンドゥクを哀れに思っている。「とても優しくて哀れでした。母親に会っても恋人のように靴を買って、バス停で抱擁する時にも、自分の中のわだかまりを解けず泣く母親に (両手を広げて) 「僕の胸に抱かれて下さい」 というところは、とても早熟で哀れでした。大人たちがだれも彼を一度も子供らしい子供と扱わず、成人のように生きるほかないように追い詰める状況が嫌いでした。」
 そうそう、この場面はワタシが唯一号泣した場面。ワンドゥクはきっと誰かに甘えたい子供に違いないのに、甘えが許されないような境遇で育ち、実に可哀想なのですが、不思議なことに、映画のトーンに憐れみはないのですよね。


17 歳のオム・ホンシク (ユ・アインの本名) はワンドゥクよりも断固とした態度だった。ワンドゥクのように 「学校を止めるたら、だめですか?」 と尋ねる代わりに、止めることを通知した。「大きな反対もありませんでした。私は大きな障害がなくて、反抗がそのまま現実になり、性格になったケースです。少し考えが図太くなった次には、すでにしでかしてしまって、「申し訳ありません。事故になってしまいました」 と言う方便を体得しました。心から事故だと思ったことは一度もありませんが、実は事故でなく私が色々と考えたことなのだと説明して理解してもらう必要を感じられませんでした。分別がなく幼いと私を見下してくれることが気楽でした。結局、重要なことはどんな行動をするかということで、話が先んじて行動が及ばないよりは、行動してから言葉で自分を殺してしまう方がより良かったのです。」


 笑いと涙、事件や事故を乗り換えて軽快に走り去る 『ワンドゥギ』 の映画的スタイルは、ワンドゥクといういたずらに率直な少年キャラクターに対してあまり親切ではない。何でもないふりをすることが身についた少年の弱い心の内を覗き見ることに時間を割いてくれない。ワンドゥクが一人で母親が作ってくれた塩辛いおかずをパクパク食べる時、ようやく心の内の一言を引き出す瞬間、映画がもう少し時間をとって見つめてくれればいいのにというもどかしさが残りかねない。
 普通なら目に涙をためてご飯を食べてもいいような場面なのですが、ひとこと 「しょっぱいな」 と言うだけ。観客を無理やり泣かせる演出ではないところがミソ。


「ワンドゥクという人物を演技する立場では、心残りのこともあるだろうが、あえてそこまでかき回す必要がないリズムに流れる映画です。 私たちの映画の運命だと思います。不遇な環境にいる人物を描いておきながら、なぜ自分たちの話を聞いてくれないのかと駄々をこねずに、すっきり扱った点に満足しています。折衷点を求めたようです。そうした映画はあまりないでしょう。」


『ワンドゥギ』 に出演を決めた頃、ユ・アインは本能的な振る舞いを失わない中で、経験を通して得た技巧を結合する演技を試す機会と感じると話した。映画が完成した今、彼は人為的なものを通じても本物を表現する演技を味わおうとしていた目標にどれくらい近づいたと自評するだろうか。


「結果的には、ジョンテの演技から抜け出すことができない、いやそれが合うのだという方向に傾きました。技巧を使うにしても自分が持っているものを失わずに使うべきで、すべてにせ物の中で技巧を使うことにはならないと思います。ところが、私が持っているものは無限ではありません。誰よりも ‘自分’ というものを多く持っているという自信はあるけれど。ですから、しばらく演技することはできないかもしれないと思うこともあるようです。」
 自分をすり減らしたくないということでしょうかね。次の作品までは時間かかるということなのかしら?


 


何も持たない人の自由を憧れる


『成均館スキャンダル』 以後、ユ・アインの急上昇を見て思った。今や、彼は何の権力も持たない者の権力 (以前彼のミニホームページで話題になった) をそれ以上持つことができなくなるのだと。代わりに商品を売って、彼の好みを大衆が求めるように仕向ける別の種類の権力を獲得するのだと。しかし、ユ・アインは、得ることよりも失うことを、多く気にしているようであった。


「おわかりでしょう。私は、どんな権力も持たない者の権力こそが本当の権力だと思います。 もしかすると... 私が新たに得た力を振り回す方法を分からず、手に余って煩わしくて疲れたからなのかもしれません。そうした脈絡で、10 代時期が最高だとおおざっぱに話したのです。何も持たない人の自由とパワーに対する憧れがあります。さらには、奈落の底に落ちてみたいという欲望もあります。」
 いや〜。この若者には教えてもらうことが多いですね (笑)。


こうしたことをはばからずに語ることのできるスターが、淡々と ‘終わり’ について語ることはそんなに驚くことでない。「どうしようもない瞬間が来る前に、自ら終わらせられば良いなと思います。同時に、そのイメージが鮮明になるほど、それがどれほど難しいことかと実感することになるので、これまでインタビューでも、いつでも辞めることができると話して通っていたのが、ほら話だったことを感じます。」


同じ理由でユ・アインはこれからすべての作品を遺作のように、別の場所へ行く掛け橋として考慮せずに選択したいと思っている。 「期限付きの宣告を受ければ、人生にさらに忠実になるでしょう。 (笑)」


おそらく以前には俳優として選択できないこともありうるという不安が、俳優生活の終止符を想像していたとすれば、今は白紙から出発する完全に違った人生の可能性を念頭に置いた人間の決起として、彼は終わりを考えるようだった。対話を終えてゆっくり立ち上がるユ・アインの顔の上で、この前読んだ詩の最後の一連がかすかに重なった。


 


 


 


 

コメント:

コメントの投稿


非公開コメント:

プロフィール

lotusruby

Author:lotusruby
当ブログ内での画像・動画は個人で楽しむ範囲で掲載しており、記事文中は敬称略とさせていただきます。

ブロガーさんとのリンクは歓迎ですが常識の範囲でお願いいたします。また、Twitter への記事リンクは事前にご照会いただけると幸いです。さりげなく拍手をくださる方、ありがとうございます。

なお、旧館からの移行記事 (2012年3月以前) はうまく反映されていないものがあります。

twitterwidget
最新記事
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
リンク
検索フォーム
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。